
Merry Christmas!
リヴィエラ門下生(最強攻略法・海殺しXの購入者)の皆様、クリスマスおめでとうございます。今年も門下生の方からのご要望がありましたので、この季節に相応しい心温まる話を披露させていただきます。
抹香臭い話は無宗教者が大半を占める我が国には向きませんので、このくらいに留めるとして、今回はクリスマスに身も心も再生したある人物の世にも不思議なエピソードを紹介致します。
神との対立
鈴木一郎(仮名)は憔悴していた。突然、会社からリストラ解雇を言い渡され、失業保険に頼る生活を余儀なくされた。保険金が給付される期間中に新たな仕事に就くことができなかった彼はついに貯金も底をつき、生きるために必要な食べ物さえ満足に買うことができなくなった。

主の祈り
カトリック教会で最も重要とされる祈りは「主祷文」(主の祈り)と呼ばれるものである。
天にましますわれらの父よ
願わくは御名(みな)の尊まれんことを
御国(みくに)の来たらんことを
御旨(みむね)の天に行わるる如く
地にも行われんことを
われらの日用の糧を
今日(こんにち)われらに与え給え
われらが人に赦(ゆる)す如く
われらの罪を赦し給え
われらを試みに引き給わざれ
われらを悪より救い給え
願わくは御名(みな)の尊まれんことを
御国(みくに)の来たらんことを
御旨(みむね)の天に行わるる如く
地にも行われんことを
われらの日用の糧を
今日(こんにち)われらに与え給え
われらが人に赦(ゆる)す如く
われらの罪を赦し給え
われらを試みに引き給わざれ
われらを悪より救い給え
はじめに神の名が賛美されますようにと願い、続けて「神の国」の到来を願う。次に人が生きていくために必要な食物を神に求める。その後、「自分も他人の罪を赦しますから自分の今までの罪も赦して下さい」と神に頼み、最後は自分が悪の誘惑に負けて新たな罪を犯すことがないよう神の保護を求める。
神の沈黙
一郎は絶えず神を敬ってきた。最近のカトリック教徒が滅多に唱えないロザリオの祈りにもこの若者は熱心に励んできた。それなのに、何故? どうして瀕死の状態の自分を神はお見捨てになったのか? 一郎の問いかけに神はひたすら沈黙を貫かれた。
この作品の神学的側面については疑義があるが、江戸時代のキリシタン迫害期にキリスト信仰を捨てなかった民衆に対して幕府が行った非人道的な拷問を敢えてお見過ごしになられた神への懐疑はもっともなものであろう。棄教しなかったカトリック教徒は次々と尊い命を落としていった。


一郎が乱心をきたして神に反逆したのも自分の経済苦を見過ごされる神の無慈悲な沈黙に対する憤りからであった。
自殺を決意
一郎はついに決意した。カトリック教会が大罪の一つに定める自殺を決行する意志を固めたのである。彼が棄教した瞬間であった。
今まで自分は神の存在をなんの疑いもなく信じてきたが、いくら祈っても事態は一向に好転しない。自分の信じてきた宗教は真理ではなかった、と彼は思った。このまま飢え死にするのであれば、潔く散って自らの人生に終止符を打ちたい、と彼は願った。
文学青年であった一郎は三島由紀夫(写真)に心酔していた。自殺に活路を求めたのも三島の影響かもしれない。
そこには断崖絶壁があり、絶対に失敗せずに投身自殺ができると思ったからである。
老婦人の憐み
汽車の中で一郎は奇妙な体験をした。自殺直前の人の顔には言い知れぬ悲壮感が漂うのであろう。真向いに座っていた年老いた婦人が一郎の隣に移動してきた。
こう言って、婦人は首にかけていたネックレスのようなものを外して、それを一郎に手渡した。
「これを身につけていると、きっと良いことが起こりますよ」と言い残し、婦人は次の駅で降りた。
不思議のメダイ
不思議のメダイにまつわる事の次第を一郎は熟知していた。

カタリナの幻視を信ずるに足るものと認可した当地の司教が聖母の指示通りに製作したメダイの頒布に踏み切ったところ、このメダイを着用した人が生存の見込みのない難病から完全復活を遂げたり、このメダイをポケットに入れた兵士が陸上戦で至近距離から銃撃されても無傷であったというような無数の奇跡が世界各地で発生した。
このような奇跡は現在も世界の至る所で絶え間なく報告されている。日本とて例外ではない。
カタリナは正式な修道女になった後、名もなきシスターの一人に徹し、謙遜、単純、愛徳をモットーに貧しい人々への奉仕のために全生涯を捧げた。


婦人はこのメダイに鎖をつけてネックレスとして愛用していた。一郎を見て不吉な予感を抱いた彼女はこのメダイを彼に持たせれば、きっと彼は守られるに違いないと思ったのであろう。
一瞬の回心
何故、見知らぬ人が自分に不思議のメダイを譲ったのか? 一郎は車中で考え続けた。老婦人がすぐに下車してしまったため、自分もカトリックであることを言いそびれてしまった。無理もない。自殺直前の人間に他人と和やかに談笑する心の余裕はない。

一郎は一瞬だけ信仰を取り戻した。しかし、すぐに絶望的な心理状態に戻り、「こんなことは自分の妄想に過ぎない」と思った。そして、ついに降りるべき駅に到着した。
崖っぷちへ
一郎はまっしぐらに断崖絶壁を目指した。心の中につまらぬ迷いが生じる前に、さっさと命を絶ち、この世とおさらばしたいという欲求に彼は駆られていた。悪の誘惑に負けて、自滅への道を歩んでいたのである。
「われらの日用の糧を今日われらに与え給え」という願いにはなんらかの事情により無反応であった神も「われらを試みに引き給わざれわれらを悪より救い給え」という願いには耳を傾けられた。
自殺決行の地となるはずであった崖っぷちに辿り着いた時、一郎は自分と同じ和服姿の若い女性がいることに気付いた。
素敵な一日?
このシスターは困難に直面している生徒に常に寄り添い、心の支えとなっていた。その背景に宗教的信念を見た愛子は自分もゆくゆくは聖書が教える隣人愛を実践する立派な大人になりたいと熱烈に願い、カトリックの洗礼を受けた。
この日の朝、愛子は地元の観光名所の断崖絶壁に立ち、心身ともにリフレッシュしたいと思った。突然、着る服もいつもとは違うものがよいというインスピレーションが閃き、和服に身を包んだ。

ステージ衣装の和服は何着か持っていて、この日はそのうちの一つを着ることにした。
ところが、実にまずい場所で一郎と出会い、素敵な一日どころか「とんでもない一日」になりそうなことを彼女は瞬時に察知した。
授かりし使命
愛子はこの崖っぷちが自殺の名所でもあることも知っていた。今、自分の目の前にいる男はいかにも飛び降りそうな気配を漂わせている。
自殺寸前の人に出会ってしまった以上、如何なる手段を講じてもその人を守ることが「天より授かりし我が使命」と考えた愛子は意を決して正体不明の男に近づいた。
逆ナンパ
「ちょっと、お兄さん」と愛子は話しかけた。ほぼ同世代の異性に対し、こんな呼び方が妥当か否かは判りかねたが、他に適当な言葉が思い浮かばなかった。
不意に見知らぬ女性に声をかけられ、一郎は面食らった。黙して語らぬさまを見て、愛子は彼が自殺をはかろうとしていることを確信した。
一郎はますます面食らった。まさか自殺を目前にして、こともあろうに男性の自分が明らかに年下の女性からナンパを仕掛けられるとは!
哀しい空
気がつけば、一郎は愛子が運転するオープンカーの助手席に座っていた。
哀しいほど澄んだ晩秋の青空が一対の男女を包み込んでいた・・・
「ねえ、私たち若いのに着物着て、変わり者だね」
はじめはそれにも返答しなかった一郎であったが、心神耗弱の身とはいえ、そろそろ何か喋らなければ自分に好意を寄せてくれる女性に失礼であると思った。
一郎は絞り出すように声を出した。しかし、自殺直前の異常な精神状態から抜け切れず、なかなか思うように発声できない。ところどころで呂律が回らなくなる。
神の摂理
「あのう、僕は死にたかったんです。でも死ねなかった。君が僕の計画の邪魔をしたから」
やっとの思いでここまで話した途端、彼は再び無口になった。
「あら、そうだったの。きっと今はまともな会話は無理でしょうから私の話を聞いているだけでいいわよ」
話が高校時代の受洗に及んだ時、一郎が思わず叫んだ。
「それ本当?」
「なんでこんなところで嘘つかなきゃいけないのよ」
二人の最初の会話らしきものがこれであった。

「俺の命と信仰を守るため、神は信仰を同じくする二人の使者を遣わされたのだ」と一郎は思った。
一郎が自分と同じカトリックであることを知った愛子はカトリックの教えに反する自殺という罪を犯す寸前の男を自分が「神の道具」となって救えたことに神のみ摂理を感じていた。
秋桜の美
いつしか二人を乗せた車は秋桜の花が咲き乱れる草原の道を走っていた。
「大空の 青きとばりによりそひて 人を思へる こすもすの花」
出会ったばかりというのに、気丈にも苦悩のさなかにいる自分に寄り添い、どこの馬の骨とも知れぬ自分の身を案じてくれる愛子の優しさと剛毅に、一郎は一輪の秋桜の凛とした佇まいを見る思いであった。
久々の笑い
コスモス街道を通り抜け、車が市街地に入り込んだ時、不意に愛子が一郎に尋ねた。
「ねえ、今晩、私の家に泊まっていかない?」
男らしさの欠片もなく、もじもじするばかりの一郎に愛子は言った。
「遠慮しなくてもいいのよ。お互いカトリック同士だから変なことにはならないでしょう」
これには一郎も爆笑した。心から笑うことができたのは何か月ぶりだろうと彼は思った。
三人のテレサ
慣れた手つきで包丁を捌きながら鼻歌で口ずさむテレサ・テンの歌がとても可愛らしかった。

奇しくも愛子の霊名もテレサであった。
文学好きの一郎が同じ神を仰ぎ見た与謝野の短歌に惹かれたように、歌姫の愛子も自分と同じくらいの年齢でカトリックの門を叩いたテレサの楽曲に強い思い入れを抱いていた。
アシジの聖地
艶のある愛子の切ないほど甘い歌声に酔いしれながら、一郎は中世の西欧諸国に精神文化の刷新をもたらした聖フランシスコの慎ましい生涯に思いを馳せていた。
フランシスコが小鳥や四季折々の花々を愛でながら自分を思慕して共同生活に加わった美少女キアラ(1255年に列聖)と共に捧げた神への賛美の歌はこの共同体で暮らす修道者たちの活力の源になった。
歌の力
自然と共に健やかに暮らし、神の被造物をことごとく愛したフランシスコは太陽を兄弟、月を姉妹と呼んだ。
今でもアシジの聖地では、フランシスコやキアラの遺志を継いだ修道士や修道女が朝霧に浮かびながら、夕暮れに染まりながら、吟遊詩人の如く、ギター片手に賛美の歌を謳う姿を見ることができる。木々の狭間からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
一郎の目には、可憐な声で歌いながら食卓に箸や茶碗を運んでくる愛子の無邪気な姿が、純情かつ朗らかな心でフランシスコを支えたアシジの聖キアラと重なって見えた。
聖母のご加護
夕食の仕度が整うと、二人はどちらからともなく食前の祈りを唱え始めた。
「主願わくはわれらを祝し、われらの食せんとするこの賜物を祝し給え。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン」
「実は、君と出会う数時間前にカトリック信者のおばあさんに会ったんだ。そのおばあさんが自殺直前の僕にこれをくれた」
「あら、不思議のメダイじゃない。一郎さん、マリア様があなたを救ってくれたのよ」
愛子のこの言葉に一郎は思いを巡らせていた。
たまゆらの同棲
二か月の月日が流れた。二人の暮らしは清らかな絆で結ばれたフランシスコとキアラの修道生活に似ていた。
狭い部屋で若い男女が寝起きを共にしても、何事も起こらなかった。
一郎を自殺から守るためにはある程度の時間の経過が必要であると愛子は判断した。
人の気持ちというものはそう簡単には変わらない。ドライブやお喋りで少しばかり一郎の気を紛らせても、その日のうちに別れれば、彼は翌日に自殺するかもしれない。
愛子は一郎の自殺願望が完全に消え失せるまでの間は共に暮らすのもやむを得ないと考えていた。
天国への持ち物
その頃、一郎も降誕祭を機に立ち直る覚悟を決めていた。
そもそも信仰とは何か? 自分は命を捨てる決断をした時、尊い信仰まで捨ててしまった。命を取り戻した今、捨てかけた信仰まで甦った。信仰とは命そのものではないか!
一郎は悟りを開いた境地になった。
スーツケースを持って天国に入る人はいない。この世の生活を終えて、自分が神のみ前に立つ時、そこに持ち込めるものは何か? 信仰だけではないか!
急に魂が燃え始めた。信仰は命そのもの。江戸時代、禁教令の犠牲となり、死をも恐れず棄教を拒み、殉教の道を歩んだ先達は命(信仰)を守るために命を捨てたのだ!
肉体の命を捨てようとして、もう一方の命(信仰)まで投げ捨てた俺とは正反対ではないか・・・
窓の外に視線を投げると、眼下には群青の冬の海がどこまでも広がっていた。
神の愛
聖堂の前にはクリスマス恒例の飼い葉桶の模型が飾られていた。

飼い葉桶に眠る幼子は羊飼いたちに囲まれていた。当時の中東社会で下層階級として虐げられていた羊飼いたちが救世主の最初の目撃者であったことは神の愛は貧しい人をも含む万民に向けられたものであることを示唆している。
命の再生
光り輝く飼い葉桶が瞼の中で滲み上がってきた。
イブのミサはあっという間に終わった。実際は司祭の熱のこもった説教がいつになく長く、隣にいた愛子は退屈気味であったが、一郎には一瞬の出来事のように感じられた。
会衆が歌う典礼聖歌も、聖歌隊が歌うグレゴリオ聖歌も、隣に座る抜群のボーカリストが信徒を代表してソロで歌うクリスマスキャロルも巧拙の差は感じられず、一郎にはその全てが天使の歌声のように響いた。
一郎は自分が再生の道を歩み始めたことを強く意識した。
ホワイトクリスマス
「一郎さん、帰りにコンビニに寄って何か温かいものでも飲もうよ!」
愛子の天真爛漫な笑顔を見ただけで一郎は全身が温もりで満たされていくのを感じた。
家路に向かう車の窓から眺める雪景色が聖なる夜に絶妙な彩りを添えていた。ハンドルを握りながら、愛子はテレサ・テンの名曲、『雪化粧』を口ずさんでいた。
新たな門出
一夜が明けた。命の恩人となった愛子と別れるのは辛かったが、一郎には秘めたる望みがあった。いつかはこの心の美しい女と結ばれて、一生添い遂げたい。こう思った途端、困難な再就職に立ち向かう気力が湧いてきた。
「ねえ、今度、身投げするのはいつ? その前には必ず私に連絡するのよ。次回も私が全力で阻止するからね」
不意を突かれた一郎は返す言葉が見つからず、苦笑いを浮かべることしかできなかった。寒風に身を震わせながらじっと愛子を見つめていた一郎がやっと口を開いた。
「身投げは絶対にしないけど、連絡はすると思うよ」
「なんで?」
「野暮ったいことは訊くな」
「お礼だよ。困っている人に渡してもいい」
汽車の扉はすでに開いていた。満面の笑みをたたえた愛子は一郎の肩をポンと叩き、踵を返した。(了)
良いお年を!
リヴィエラ倶楽部
(聖カタリナ・ラブレの遺体・・・死後148年が経過した今でも腐敗を免れている。パリの中心に安置されているため、遠方からの巡礼者のみならず、買い物帰りに気軽に立ち寄る地元の人にも崇敬されている)
<併せて読みたい感動コラム>