



パチンコ攻略法という社会的イメージの芳しくない情報商材を逆風の吹き荒れる中で、これほどの長きにわたり販売し続けることができるとは思いませんでした。
しかし、リヴィエラ門下生(海殺しX購入者)から届く絶えまない声援(メール)は真夏の日々に吹き渡るそよ風のようなものです。

当ブログ開設の動機
そもそも当ブログを始めたのは、門下生の皆様から寄せられるメールを同門の方々にも紹介したかったからです。
重要カテゴリー
とはいえ、私にも本業があります。執筆になかなか時間が取れず、皆様から次々と舞い込む戦績報告、近況報告等、刺激的なメールの20分1も紹介できていないのが実情です。
このカテゴリーの記事は今年(2020年)の2月17日に発表した海殺しXでスロプロからパチプロへが最後になっています。
明日への糧
コロナ禍に巻き込まれ、人生が狂ってしまった人も少なくないでしょう。
こういう時期であるからこそパチンコの攻略により一層の意義が見出されるのです。
パチンコの攻略ほど孤独なものはありません。勝ってもそれなりに疲れますし、負けた時はこのうえなく不愉快になります。
では、半年ぶりに「購入者からのお便り」というカテゴリーで新記事を入れます。
以下、お名前のみイニシャル表記に変えて抜粋します。本当に凄まじい話です。よくこんなことを告白してくれたものです。
C.Kさんからのメール1
こんにちは。Kです。当たり方で台の好調、不調を見分ける方法について質問させていただいたのが去年のクリスマス前だったと思いますのでかなりご無沙汰ですね。お変わりありませんか?私は今年の1月に人生の曲がり角を迎えました。今まで佐々木さんに自分の生い立ちやプライベートなことはまったく話したことがありませんでしたが、これだけお世話になってますので、コラムに出てくる皆さんのように、今回はプライベートな話からしたいと思います。質問もありますが、それは最後に書きますね。実は今年の初めに私は専業主婦になりかけました。仕事をやっとやめることができました。私は高校を中退しています。自分で言うと嫌味に聞こえるかもしれませんが、母校はとても偏差値の高い都立高校です。進学校でありながら昔は野球で甲子園に出場したこともある高校といえば、東京人の佐々木さんならすぐにおわかりでしょうね。卒業生の全員が大学に進学する高校なのになぜ中退してしまったかというと、「青春の過ち」が原因でした。高校1年の夏休み、私は湘南のサーフィンスクールに通っていました。はじめのうちは話にならないほどの下手っぴでしたが、だんだんと要領がわかってきて、高2の夏は毎日のように江ノ島の波に乗るサーファーガールでした。そんなある日、大学生のグループにナンパされて、一緒にご飯を食べたのが今の主人との出会いでした。サーフィン、ナンパというと、なんか尻軽女のイメージがあるかもしれませんが、当時の私は同じクラスの男子と気さくに会話すらできないイケてない女でした。ナンパに素直に応じたのは大学生グループの中に女子学生も混じっていたからです。その日以降、そのとき知り合った男子学生の一人が毎日、私に電話をかけてくるようになって、私達の家が近かったこともあって、デートを重ねるようになりました。若気の至りですね。ふつうに公園に行ったり、喫茶店に入るだけのプラトニック交際ならよかったのですが、困ったことに私のお腹に赤ちゃんができてしまいました。両親は発狂するし、彼も慌てふためくし、その時はもう地獄でしたね。私の親は二人ともプロライフの運動(筆者註・妊娠中絶反対運動)をしていて、そこで知り合って結婚しました。当然、おろすなんてもってのほかという考えで「パパとママが育てるから子供を産みなさい」といいました。血は争えないというか、子供を産んでから私もだんだんとプロライフの考えに傾きつつありますが、当時は自分の一生がメチャクチャになってしまったとしか思えなくて、頭の中が急に真っ暗になりました。幸いだったことは、彼が私の両親の前で土下座して謝り、「すべての責任は僕にあります。僕が強引すぎました。Cさんにはなんの罪もありません」と私をかばってくれたことです。それを見た父が彼のことを「男らしいところもある。悪い奴じゃない。結婚しろよ」と言ってから、話が急展開して、私たちは入籍しました。友達に知れるのが嫌だったので、私は両親と大喧嘩の末にせっかく入った名門校を中退しました。両親は高校だけは卒業しろとうるさかったけど、中退が子供を産む絶対条件だと私も譲らず、最後は両親が折れました。以前のコラムで将棋のプロの人が教師と喧嘩して有名校を中退した話がありましたが、私の中退理由はそんなにカッコいいものじゃなく、恥ずかしさのあまり逃げ出したかっただけです。(筆者註・ 大海物語4 BLACK(ブラック)攻略のお問い合わせが殺到!参照)当時、主人は大学3年生。卒業までまだ1年半ありましたので、私の母が赤ちゃん(私の息子)の世話をして、私は叔父が経営する自動車教習所の事務の仕事について家計を助けることになりました。籍は入れたものの、私たち夫婦が一緒に暮らすようになったのは主人が大学を卒業して一年以上経ってからです。主人の卒業が待ち遠しい毎日でしたが、ここでまた試練が訪れました。主人の通っていた大学は歴史が浅く就職に不利な大学でした。ネームバリューのない大学なのに主人が強気に一部上場の企業ばかり狙うので、当然の結果落ちまくり、卒業式の日に就職が決まっていないという惨めな状況でした。きっと夢が破れてショックだったのでしょう。主人は卒業後、遊ぶ金目当てのアルバイトはしていましたが、まともな定職につかず、父親としての自覚がまったくない状態で学生時代と変わらない生活をしていました。これに私の父が大激怒。最終的には、ほぼ強制の形で主人は私の働いていた自動車教習所に叔父のコネで就職させられ、大学出なのに今でもごくふつうの教官をしています。叔父というのは母の兄です。叔父と仲の良い父は主人を将来、教習所の役員にさせたいようなのですが、遊び好きの主人は出世には欲がなく、毎日、オンラインゲームをしています。特に麻雀が好きで「おお役満だ!」とか叫んでいます。私にはさっぱりわかりません。・・・(つづく)
命の重み
長文につき一旦ここで切ります。空の星の数だけ人には人の無数の人生があるとは言いますが、C.Kさんの波乱万丈の半生には感動を覚えました。
キリスト教的価値観が社会に根底に根付いていない日本社会において、プロライフ派(中絶反対)はプロチョイス派(中絶容認)よりもずっと少ないと思います。
アンケート調査などを見れば、意外とプロライフ派も少なくはないようですが、それは元プロチョイスの人がプロライフに転向した結果であると見ています。
当然、生まれるチャンスすら与えられないこと(堕胎)の理不尽さにも気づくのでしょう。
C.Kさんのご両親はまだ比較的お若いはずです。それにもかかわらず、確固たる信念を有し、我が娘に人としての正しい道を教えられたことに敬意を抱かずにはいられません。
では、メールの続きを見ることにしましょう。今度は一転して爆笑のエピソードが綴られています。
C.Kさんからのメール2
・・・(つづき)父の命令で叔父の経営する自動車教習所の教官見習いとなった主人は教官の試験に合格するまでの間は時々、事務仕事のお手伝いもしていました。叔父からは主人が入社する前、「職場では旧姓を使用してくれ」と頼まれました。夫婦が同じ職場にいることが他の従業員にあまり良い影響を与えないことを心配した叔父の判断でした。ある日の朝礼で叔父が「事情があり、Kさんのことを今後はIさん(筆者註・原文はKさんの旧姓ですがイニシャル表記に変えています)と呼んでほしい。たいした問題ではないので、あれこれと詮索はしないこと」と従業員に言いました。まるで離婚したみたいで私は嫌でしたが、経営者の命令ですのでノーとは言えません。また、叔父は私に職場では主人のことを「Kさんと呼ぶように」と命じました。主人には私のことを「Iさんと呼ぶように」と命じたようです。それ以来、私達夫婦は職場ではほとんど会話をしないように互いに避け合いながら仕事が終わって家に帰る時も時間をずらして別々に行動していました。こんなことまでしなくてもよいと思いますが、叔父とすれば自分の権限で身内を就職させていることを従業員に知られたくなかったようです。私が旧姓に戻したすぐ後に私の新姓と同じ人が入社するというシナリオには少し無理があったように思います。Kという苗字がどこにでもあるありきたりな苗字なので叔父は不自然ではないと思ったのでしょうが、今考えると、やっぱり無理があったと思います。15年以上にわたって、私は職場では主人に対してツンデレな態度で接していました。でも、同僚は私達が夫婦であることをとっくの昔に知っていたようです。私が退職する直前に開かれたお別れパーティーでは、叔父が「もう隠さなくてもよいよ」と言ってくれました。私はスピーチを終える前、「皆さん、約15年間、本当にお世話になりました。気がつけば私が事務方のベテランになってしまいましたが、私が抜けてもこの教習所が繁盛を続けることを願っています。特に教官のKさんの活躍には期待しています」といったら会場は大爆笑!すると主人が「了解! C(筆者註・原文はC.Kさんの下のお名前)、おまえも良いカミさんになれよ」と今まで職場では澄ました顔をして私に敬語で話していた主人がはじめて従業員の前で私の名をふだん通りに呼び、とても他人とは思えない言葉で、しかも、ひょうきんなことをいったので、すでに私達の関係を知っている人達からは口笛が吹かれたりして、大いに盛り上がりました。最後に叔父が締めのスピーチに立ち、「今日はお忙しいところIさんの送別会のために集まってくれてありがとう。前から気になっていたんだが、IさんとK君はできていたのか」とまじめな顔で間抜けなことをつぶやいたので、再び爆笑が起こりました。できてたんじゃなくて、とっくの昔に夫婦ですって!!!・・・(つづく)
笑うことが大事
3人が3人とも面白いことを言ったわけですが、私個人の感想を申し上げれば、叔父様のしらばっくれたスピーチが最高でした。

叔父様のジョークにもそれと似たものを感じました。
私はコラムを通じて再三にわたり、免疫力を上げることの重要性を説いてきました。
笑いの対象が何もなくても、過去にあった何かおかしなことを思い出して、意図的に思い出し笑いをするだけでも十分な効果があるというから驚きます。
ユーモアセンスに富んだC.Kさんが笑いに包まれた日常の中で健康な身体を維持され、笑いが止まらないパチンコ攻略の日々を送られることを願っています。
C.Kさんからのメール3
・・・(つづき)退職前の話に戻しますが、私達夫婦が同じ職場で働くようになって1~2年してから叔父も考えが変わったらしく、私に「もう二人のことは公にしようか? どちらも職場の人気者だしな」と私の意向をたずねてきたことがありました。そこで私が「今のままでいいです。もう慣れました」と断ってしまったのが15年近くも他人のふりを続けるきっかけとなりました。つまならい理由かもしれせんが、私は自分の前の名前が好きでした。女優さんの芸名みたいな感じで、男性に「名前だけで恋しちゃう」といわれたこともあります。結婚後のフルネームだと苗字が変わっただけで冴えない響きになるので、せめて職場では名前のブランドを残しておきたいというのが私のわががまでした。ところで、息子は高校生になりました。私学のため学費にかなりの負担がかかります。叔父には申しわけないけど安月給の職場なので、このままいくと生活が厳しくなることは明らかでした。2年後には息子の大学受験も控えていますので、ここで何か手を打つ必要を感じました。先日のコラム(筆者註・【続編】スロプロからパチプロへのことです)に学歴差別の話がありましたが、私も学歴社会の犠牲者です。職業上のスキルも何もない高校中退者に転職のチャンスはありません。唯一の特技がパチンコであれば、道を切り開くものはこれしかない!と思いました。仕事をやめるのに迷いは少しもなかったです。私は悪い主婦で、共働きの頃も夕ご飯の仕度は主人任せでした。主人は男性にしては異常に器用な人で、どこで覚えたのか料理も専業主婦顔負けの腕前です。主人が夕ご飯の支度をしている間、私はホールで海殺しに明け暮れていたので、いつも夜遅く帰宅してから私だけが一人でご飯を食べる日が続いていました。主人が繁忙期のときだけ私がパチンコを打たず、夕ご飯を作るいう妙な夫婦でした。繁忙期は主人も忙しくなりますが、それ以外は残業がない職場なので主人も喜んで主夫になってくれました。少ないながらも私がしっかりとパチンコで稼ぐからです。平日は夜しか打てないので、月間アベレージは+15万円にすぎませんでしたが、このサイド収入は大きかったです。息子の夏休み中、冬休み中に二人で有給休暇をとって家族で海外旅行に欠かさず行ってたくらいです。教官と事務では接点がほとんどありませんが、部署は違っても、何度も同じ時期に二人そろって有給を取れば、そりゃバレますよね。(笑)今年の4月に息子が高校に入り、この暮らしもいつまでも続かないと思いました。主人ではなく私に似て勉強が得意な息子は難関大学を狙っています。ゆくゆくは塾にも通わせなければならなくなるでしょう。私立高校の授業料、スペアの制服代、塾の月謝、部活の合宿にかかる交通費、宿泊費、修学旅行代・・・と今、目の前に今までにはなかったプレッシャーがちらついて、緊張感が高まっています。今までの生活様式でもなんとかなる気もしますが、私だって高校生の母親とはいっても、まだアラサーの遊び盛りです。家族も大事だけれども自分のやりたいことも大事なんです。今でも私はサーフィンをやってます。海外旅行の目的もマリンスポーツなんです。私はパチンコでは海物語が好きですが、趣味の中心も海なんですね。以前のコラムで「仕事も海、パチンコも海」という方がいましたが、私の場合は趣味のすべてが海関係といったところでしょうか。(筆者註・ 海を愛する男の大漁祭り(パチンコ素人の変身)参照)仕事帰りに打ってた頃でさえ、勝ち逃げを繰り返して月間アベレージ15万円だったので、毎日、長時間打てばアベレージは3倍になると思いました。パチンコで月に45万円稼げれば、私の退職前の月給+パチ給15万円を上回ります。やる気満々で退職後に毎日、ホールに行きましたが、あてがはずれて、1月の収支は+28万円に終わりました。2倍にすらなっていません。最後の月給を上回ったことだけがせめても救いでした。私は冷静に何がいけなかったのか自分なりに反省しました。仕事をしていた頃は夜の勝負でしたので打てる時間が限られていました。私は勝負に辛く、少しでも利益が出ている時点で勝ち逃げしていましたが、打つ時間が長くなってから「少しくらい投資が膨れ上がっても後で挽回すればよい」と自信過剰になっていたのです。実際に挽回できる日もありましたが、挽回できずに終わる日もありました。これが自分の失敗だと気づいてからは、時間はあっても勝ち逃げに徹することに決めました。ただし、勝ち逃げする額の基準を上げました。この方針に変えて2月の収支は+41万円に急上昇。3月はカシオペア攻略術を購入したこともあり、56万円という私にとっては夢のような記録を打ち立てることができました。しかし、その後に試練が待っていました。・・・(つづく)
揺ぎない自信と敗因分析
仕事をお辞めになるのに少しも迷いがなかったという自信には頼もしいものを感じます。
同様に海殺しXを海物語シリーズ以外の機種に使用されている攻略初心者から寄せられるメールには「激アツ演出を何度も見ることができるようになったが、外れることもある」というお悩みが記されていることが少なくありません。
打つ機種が異なるだけであり、二つのお悩みの本質は同じです。
それはホルコンがアクティブにしているグループ(ホルコンが数台を束ねて作るユニットのこと。ホルコンのグループ構成の見分け方及びそれを応用した攻略法に関しては、海殺しXのテキストブック📖参照)は見抜けても、当たり番(ホルコンが次の当たりを予定した台)を正確に見抜けていないということです。

まずは最強の攻略ノウハウに揺ぎない自信を持つことが必要です。パチンコは格闘技ですから自分の技量に自信がなければまず勝てません。
「もし負けるということがあると・・・」という失礼な言葉に、猪木が「出る前に負けること考えるバカいるかよ。出てけ、コラッ!」と怒鳴ったシーンは今でもファンの間で語り草になっています。
パチンコも同様です。
ホールに入る前に負けることを考えているようでは、厳しい戦いを勝ち抜くことはできません。どんな手(技)を使っても最後は必ず勝つという自信がなければプロにはなれません。
すでに海殺しXのセミプロ級の打ち手であったC.Kさんがカシオペア攻略術という新技をマスターされて完全なプロになられたことにも深い感銘を受けました。
その理由を見つけることにより自分の弱点を知ります。そして、同じ失敗を繰り返さないように努めるだけで実力は格段に上がるのです。
しかし、ただちに攻略スタイルを改め、よりシビアに打つことによりそれを克服されたのは見事と言うよりありません。
C.Kさんからのメール4
・・・(つづき)2月、3月と右肩上がりの収支を記録した私でしたが、4月に入って緊急事態宣言という大敵が現れました。大半のホールが閉鎖され、東京で営業中のホールは限られてきました。私が打っているホールも閉鎖となり、自粛期間中も営業していて勝てるホールを探すのに一週間もかかりました。慣れているホールで打てないというのがこれほど苦痛であるとは思いませんでしたね。新しいホールを見つけても、ホルコングループの識別からやらなければならないので、軌道に乗るまでの間、忍耐が必要でした。自分のホールでは遠くの台が当たっても、それが何番台かすぐにわかります。台の配置は全部暗記してますから。新しいホールでは慣れるまでの間、他の台が当たるたびにその台の番号を確かめるために見に行くという面倒がありました。まあ、これはちょっとした苦痛にすぎませんが、一番いやだったのは、そのホールに行くまで我が家からバスと電車を乗り継がなければならないことでした。閉店まで勝負する日は帰りはバスがなくなり、タクシーに乗らなければなりせん。負けた日にタクシーに乗る時は最悪の気分です。それが自分の闘志に火をつけたのか、結果的に月間収支は4月が+33万、5月が+51万円とまずまずの出来でした。6月に入ってホールの休業がなくなってからは、古巣のホールと新ホールを使い分けています。どちらのホールにも放出と回収の波があり、連日通っていると「3日連続でガバっと出してくれたので明日は厳しいな」とか感覚的にわかります。古巣の方は前から気づいていましたが、日曜日がケチくさい感じです。お客さんの数は多いのに全体的な出玉がそれに見合っていないんですよ。だから私は日曜日は新しいホールでしか打ちません。二つホールを股にかけるようになって、月間収支も安定するようになりました。6月+58万円、7月+57万円。ちなみに1万円未満は四捨五入しています。8月に入ってからは、心境の変化がありました。今日の時点で(筆者註・メールが届いたのは8月21日)収支は+47万円です。最初の目標は「パチンコで月に45万円稼げればいい」でしたが、私の攻略力でも全力を尽くせば50万円以上も可能だということがわかってきたので、月の途中で50万円を達成した時は、翌月まではパチンコを打たないで好き勝手なことをしようと心に決めました息子が大学受験を迎える頃になれば、打つ回数も増やさなければならないでしょうが、今はお金を作ることにそんなに焦る時期でもないと思いました。私には一つの夢があったのです。それは専業主婦になること。社会で働かず、朝、昼、晩と食事を作り、掃除、洗濯もして、お昼を食べた後はソファーにもたれてワイドショーを見るような平凡でのどかな日常に長いこと憧れていました。教習所時代は毎日、同じ事務仕事で退屈でした。同じルーティンワークでも主婦の方が通販でロボット掃除機を買ったり、便利なアイロン台を買ったり、自分のやり方でマネジメントできるので快適度がぜんぜん違う気がします。ひと月のうち、10日でも一週間でも私がパチンコを打たない完璧な専業主婦になれば、その期間中は主人に夕ご飯を作らせずにすみます。お昼にカレーでも作っておけば、それが主人と息子の夕ご飯にもなるので、午後から遊びに行くことだってできます。私は若くして結婚、就職をしたので、同世代の人と違って青春を十分に楽しまずに30歳を過ぎてしまいました。今が第二の青春なんです。お世辞にも良い主婦とはいえないでしょうが、自分で見つけた生き方で、家族も自分自身も幸せにしたいと燃えています!昨日、通販で注文したおもしろグッズが我が家に届きました。添付でカタログの写真送りますね。これ一つでコーヒー、目玉焼き、トーストがいっぺんに作れます。(筆者註・送られてきた写真を冒頭画像に使用させていただきました)今朝、さっそく主人と息子が楽しそうにテスト使用していました。フライパンのスペースがもう少し欲しいと主人はいっていましたが、アイデア商品なのでそのへんはご愛嬌かと。みんなで食べる朝ご飯の時間が楽しくなるだけでいいのです。一日の始まりが楽しければ、夜寝るときまで幸せでいられるはずですから。以上が私の生い立ちと近況です。もしかして、このメール、コラムに掲載されますか?下手な文章ですみませんが、中身は十分と思います。もし使われるなら、私の名前は伏せて下さいね。使って下さいと押し売りしてるわけではありませんが、たぶん使われるような気がして・・・(中略)最後に質問です。裏サメ狙いのスーパーリーチが出る台は悪い台と聞きましたが、自分の経験上、そのまま打っても当たることがよくあります。佐々木さんの見解をお伺いしたいと思います。・・・(後略)
抜群の戦績
当倶楽部では、海殺しXで一ヶ月の純益が50万円以上の方をスーパートッププロと認定しています。
C.Kさんには今後のリヴィエラレディースを牽引していただきたいと願っています。
家族愛
C.Kさんの近況報告を拝読して、海殺しXの戦績以上に賞賛に値すると思われることは、随所にご家族への愛が感じられたことでした。
奇しくも海殺しXでスロプロからパチプロへの結びの部分で私が言及した「お金よりも価値のあるもの」を想起させます。
私は門下生の皆様を金の亡者にはしたくありません。私が執筆する一連のコラムの底流には「お金よりも時間が大切」という不動の信念が息づいています。
C.Kさんの人生設計がもし上記のコラムの影響を受けたものであったとすれば、このうえなく光栄に存じます。

裏ザメ狙いのスーパーリーチが発生したからといって、その台が悪い台であるとは限りません。
しかし、何度も裏ザメで当たろうとして当たらないスーパーリーチが多発する台は、少なくともその時点においてサイクル状態が芳しくないと言えます。
具体的に説明しますと、3と4でダブルリーチがかかり、3が通りすぎる直前に動きがスローダウンせず、9を通り越したあたりでスローダウンして裏ザメで当たるか否かという展開のスーパーリーチは歓迎できません。(4のシングルリーチがスーパーに発展して9を通り越したあたりでスローダウンするのも同様)

まずまずの台であれば、次のスーパーリーチか次の次のスーパーリーチがなんらかの形で強烈なインパクトを伴う「決め手」として出現し、それで当たります。(この決め手をあっさりと外す台、あるいは決め手が一向に出ない台は当分の間、ハマリの傾向)
沖海系であれば、5人目の娘がミニキャラで登場して、一瞬ずっこけたりします。つまり、滅多に出ないものが出るということです。
ちなみに、好調台は裏ザメ狙いのスーパーリーチという歓迎できない現象が発生しても、次の4絡みのスーパーリーチでワリンが出て魚群も出るとか、リーチになる前に一発告知が発動し、4絡みのスーパーチに発展したりします。そして、大抵は確変で当たります。
通常、当たる台でも当たる前の儀式として何度もスーパーリーチが来るものです。
企業に例えれば、平社員が主任や係長を経ずにいきなり課長に昇進するようなものです。
とりあえず、今回は裏ザメ狙いのスーパーリーチが多発する台はなかなか当たらない傾向にあるとだけ覚えておいて下さい。

文章が下手と謙遜されていますが、なかなかの筆力です。
今までのメールのやりとりから只者ではないという感触を抱いていましたが、これほどまでに波乱万丈な人生を送られてきたとは思いませんでした。
百恵さんは極貧の家庭に育ち、家計を助けるため、お母様への孝行をするために歌手のオーディションを受けました。
人気絶頂の歌手になってからは寝る時間もないほどの多忙を極め、同世代の女の子が青春を謳歌している頃に全く遊ぶことができませんでした。
「幸せとはなんぞや?」という問いに、私ならば「安らかな心境で家族や友人たちと楽しいひとときを分かち合えること」と答えます。
8月の後半、パチンコを打たない普通の専業主婦の日が何日あったのかも興味津々です。
リヴィエラ倶楽部
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